□ 獣 □














胸糞の悪い男だ。
爬虫類のような吊上がった目をしている。見かけだけでなく、中身も 粘着質でしつこいタチだと伝わってくる。ほんのちょっとした仕草や目線から、 なるほど人となりというものは現れるものだと、カカシはいっそ感心した。
遠慮なくじっと見ていたせいか、その男はちらちらとカカシを気にするそぶりを見せた。
四、五人で談笑――というには、ニヤニヤと嫌な笑い方だったが――しながら、 忍の耳では声を潜める意味もない囁きが聞こえてくる。
おい、カカシがお前を見てるぜ。なにかしたのか。
ずいぶん熱心じゃないか。あの中忍を見てるときみたいな目だ。
おいおいよせよ、じゃあカカシが次に狙ってるのがコイツの尻だってのか?
さすがにカカシも、内心うげえと呻いた。トカゲ相手に勃つ趣味はない。
聞かせたくないなら口の動きだけで会話すればいいのに。カカシには、聞こえるように 声を潜めることにどんな意味があるのかよくわからない。
もっとも、口の動きだけでも、空気の流れに注意すれば、熟練の忍なら会話を読むことも できるが。
男は、次の任務がでかいヤマなのだと妙に自慢げに胸を張って喋りまくっている。
街の無頼者がするような言い方、任務をまるで単純な金儲けの手段のように、これが終われば忍を 引退してもいいだの、暗部かどこかに転属させられるかもしれないだの、つじつまの 合っていないことを滔々と垂れ流し続ける。
初めはいちいち話に付き合っていた周りの男たちも、しだいに呆れ果てておざなりな 相槌を打つだけとなった。
能力だけで上忍と認められたクチだな、とカカシは歯牙にもかけずぼんやりと思う。








友人が嬲り者にされたと心を痛め、その友人に自分を重ねて鬱屈していた情人を、 全身全霊使って、言葉や仕草だけでなくセックスの技巧まで駆使して慰めたのは、 つい三日ほど前のことだ。
カカシにとっては、どうして好き合っているカカシとイルカの関係を、変態で偏執狂で サドの男とその犠牲になった不幸な男に重ね合わせて見ることができるのか、まったく わからない。理解できない。上忍と中忍だという以外、なんの関係もないじゃないか。
なぜかイルカがこだわり、躊躇するから「恋人だ」とは言っていないけれど(本当は 声を大にして言いたい)、お互いに好きで、一緒にいたいと思っていて、実際週に三回は 朝まで一緒にいる仲なのだから、全然話が別だと思うのだ。
でもイルカが、同じだと言うから。
どこが、と憤然とするけれども。
好きな人の考えていることを、少しでも知りたい。わかりたい。だからこうして、カカシは 加虐趣味の変態でしかも同里の忍殺しという大罪を背負いながらそれに気付かず、自分の置かれた立場を 未だもって理解していない大馬鹿男を、じいっと観察しているわけだった。
だがそれも、ちょっと嫌になってきた。
カカシはすこぅし考えてみる。イルカは好きだ。だからイルカのことをよく考える。いつだって 考えていたい。
だけどこのトカゲ男のことは好きでもなんでもなく、むしろ気色悪い。いくらイルカを理解するため とは言っても、生理的嫌悪感を押さえつけてまでこのトカゲを観察することに意味があるのか。
―――否。そんな時間があるなら、今夜の逢瀬のことでも考えていよう。
でも、こんな男と、たとえ一部にしろ同じ事をしているとイルカに思われたり言われるのは嫌だから、 ちゃんとそれを言っておこう。やっぱり違うと思いますって。
カカシは今日は運がよいのだ。一週間も前に火影から直々に言い渡されたSランク任務が入っていたのだが、 今朝になって受付に行くと、予定が変わったのでカカシはいかなくてよいことになったと伝えられた。
イルカの家でご飯を食べるか、それとも外で食べるか――。カカシが今いちばん悩むべき点はそれだ。
うん、そうだ。
カカシは自分の判断に満足して、目線を窓の外に向けた。眩しさにではなく、わずかに細める。
元気よくアカデミーの校庭で跳ね回る子供たちと、豆ちびたちに囲まれて晴れやかに笑いながら きびきびと動く、愛しいイルカのきれいな上腕二頭筋をうっとり見つめた。



トカゲ男を見たのは、それが最後だった。







「あの、カカシ先生」
「なんでしょう」
カカシがイルカにちょっかいをかけるようになってから――というのは周囲の認識なので、カカシ的には 口説き始めてから、になるが――イルカからカカシに声をかけることはめっきり減った。
ばったり道で会ったときなども、イルカは笑いかけて儀礼的に挨拶を返すが、カカシはそれがイルカの 本心ではないことをもう知ってしまっている。
イルカが、ほんとうに自主的にカカシに話しかけるのは、月に一度あるかないか。
他は全てカカシにとっては偽者だ。
だから思わず、期待で声が上ずった。
唯一さらしている右目もちょっと見開いてしまった。イルカ以外にはわからないほどの差だけれど。 報告書を出し、受付所を出てすぐにイルカは追いかけてきて、申し訳なさそうに一枚の紙を差し出した。
カカシの好きな上目遣いで、伺うように見上げてくる。
「こちら…お願いしたいんですが、今夜大丈夫ですか?」
くそ、絶対わかっててやってるな。そう毒づきたいカカシが三分の一、もう三分の一は今すぐかっさらって 寝技にしゃれこみたいと叫び、残りは単純にイルカ先生に声かけてもらったことを万歳三唱で 喜んでいる。
そんな自分にちょっと暗くもなるが、踊らされるのもイルカ相手ならばいいと言ってしまえるカカシだ。
内心の葛藤など、ちらとも見せず笑顔で、手渡された紙に目を走らせる。
だが、イルカ相手ならば無条件に花が咲く微笑がふと途切れた。
「イルカ先生? Sランク任務なのにどうして貴方が依頼書を持ってくるんです――」
「火影さまに頼まれました」
「頼まれた、って――でも、これは…」
珍しく言葉を濁すカカシに、火影の秘書役をも務める忍はにやりと笑った。
「そりゃ覚えてますよね。まだ一ヶ月経ってないし」
「じゃあ、やっぱり」
「ええ。この間カカシ先生が行う予定だったSランク任務ですよ。当日になって急遽取り消しされた やつです」
それが何故いまここにあるのか。経緯が掴めず、カカシは首を捻り、ふと思いついて眉をしかめた。
「失敗したんですか?」
「はい。でもまだ依頼期間内ですので、残りの日数でも完遂できるだろう、という実力のある方に 廻させていただくことにしました。つまりは、あなたに」
任務の失敗。前任者は死んだか、任務が遂行できないほどの重傷を負ったということだ。あまり気味の いい話ではない。
どんな任務だ、と目を通してみると、カカシにとってはさほど困難には思えぬ内容だった。むしろS ランクにしては至極簡単な部類に入るだろう。これならば、最初からカカシが請け負った方がよかった のではないかとすら思った。そうすれば、この忍は怪我を負うこともなかったろうに。
拍子抜けしたような気分も抱えながら読み進めていたカカシは、ふいにぎょっとして、傍目にわかるほど 瞠目した。
前任者―――既に死亡。その欄に、あのトカゲ男の名が記されていた。
「イルカ、先生……これって」
まさか。
ゆっくりと覗き込んだ誠実な容貌は、いつも浮かべている微笑を、きれいに消し去っていた。
能面のような鋭い眼差しは初めて見るもので、普段表情豊かな人が無表情になるとこれほどに印象が違うかと、 カカシはぞっとするものを堪えきれない。
カカシを見ながら、だけれどカカシではないどこかを見つめながら、イルカは口の端だけを上げてうっすら 笑ってみせた。―――酷薄に。
瞬間、カカシの背を寒気ともしれぬ痺れが駆け抜け、鳩尾の辺りがかっと熱くなった。
「大丈夫。ちゃんと、火影さまに許可はとってあります」
「許…可?」
「ええ。カカシ先生と、いくつか任務を交換させていただいただけです。頑張っていただけましたよ。 本当ならば極刑に処してもおかしくはないんですが、実力はそこそこある方でしたから、使いきり これっきりの忍ということで、休む間もほとんどなく働いてもらいました」
微笑に似たものを浮かべながら口から出る内容の、なんて寒々しいことだろう。
息を呑んでイルカに魅入りながら、カカシはぶるりと身体を震わせた。
「貴方が…考えたんですか」
「いえ。考えるまでもありませんでしたよ。だって、このくらいは当然のことでしょう?」
当然のことでしょう?と。小首を傾げて、むしろおかしそうに。
イルカは子供のように無邪気に見えた。
「―――どうしようイルカ先生」
「え?」
「貴方があんまり怖くて綺麗な顔で笑うもんだから、興奮してきちゃいましたよ」
獣のように光る片目を細め、カカシは唇をちろりと舐めた。
そうして、きょとんと目を丸くしたイルカににやっと笑いかけ、食うように唇をふさいだ。
どうしよう。ほんとうに、どうしたらいいんでしょうね、イルカ先生?
俺は貴方のやることなら、無条件で歓迎できるみたいです。
それどころか、そんな、人を人とも思わないような所業を聞いて、興奮してるってのはどうしたわけ なんでしょう。俺もトカゲのことを笑えそうにない。
みな忍は―――獣の部分を持っているのだろう。



そう、あなたも、獣に噛みつかれて腰を熱くさせているようにね。










2004.2.5 どうでしょう。いらなかったかな?
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