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□ 酷い男 □














ぼう、とした暗い部屋で、空気まで重く沈むようだった。
イルカは、開け放した窓の影に足を伸ばしながら、静かに盃を傾けていた。
今日、またひとり、同僚が死んだ。
弔いの酒ではなかった。注いであるのはただの水だ。
ただの水を、きっちりと一升瓶に詰めて冷やし、薄蒼い青磁の盃に七部目まで注ぐ。それをちびりと舐める。
舐めて――――また仰のき、群青の雲が流れる空を見るともなく眺める。
どうしようもなく薄ら寒くなった時の、それがイルカの習慣だった。










夕刻の受付所はいつも騒がしい。
「報告書ですね。確かにお預かりしました」
「こちら今夜の任務なんですが、請け負っていただけませんか?」
「ミハシ中忍は怪我の療養中です。サポートは他の方でないと…」
イルカも、お決まりの微笑みと共に次から次へ書類を裁いていく。このとき一番気をつけるのは、決済を早くする ことでも、間違いのないようにすることでもない。笑顔が嘘くさくないように心がけることだ。
それは思うよりずっと、神経を疲れさせる。
イルカは、長期任務を終えた者には「心から帰還を喜ぶ」顔をつくり、日々の任務に勤しむ者には「今日も一日 無事で過ごせてなによりです」と滲み出るような笑顔を向ける。
受付でも、自分のその反応がかなり好評だと知っているから、満足だ。
けれど、時には、そんな自分がひどく情けなく思えるときがある。
偽りの顔でひとを迎え入れ、送り出す自分。
受け取る紙切れいちまいに降り積もった、目には見えぬ人の死。だれかの死。血のにおい。
それを飲み下して笑みを浮かべる自分の姿を―――頭上から見下ろすとき。
嫌悪で顔が歪みそうになる。いや、もはや無意識に表情が変わることはない。
あえて自分から、思いっきりしかめ面を作りたくなるのだ。
湿った死の影を近くに感じる今日などは、とくにそうだ。
こんな日には知り合いの誰とも会いたくない。
普段なら素で交わせる日常のちょっとした会話がひどく億劫で。……重たるくて腕がもげそうに感じて。








だんだんとシフトの交替の時間が近付いて、イルカはほっと胸を撫で下ろす。
よかった――――――今日は、あのひとが来ないうちに終わりそうだ。
「…あの、俺、今上がってもいいですか? 明日は三十分早く来ますから」
傍らの同僚に拝んで頼むと、男は書類をトントンまとめながら立ち上がった。
「いいですよ。残りの仕事も少ないみたいですしね。珍しいですね、イルカ先生。なにか用事がおありですか?」
話したくもない時に限って、どうして人は会話したがるんだ。
嘆息したい気分だったが、おざなりに扱うわけにもいかない。中間職には人付き合いが大事なのだ。
「ええ、まあ」
いかん。ものすごく適当な返事になってしまった。
これは相当ヤられてるな、とイルカは自分の精神がだいぶまいっていることを確認した。
だが同僚は特に気にしていないようだった。よかった、助かった。さっさと帰ってしまおう。
カバンをひっつかんで受付所を早足で出た時、
「うわっと」
「あ、すいません」
かなりの勢いで受付に入ってきた男とぶつかりかけた。かろうじて避けたが、なんなんだ、と顔を上げ、 イルカはそのまま硬直した。鍛え上げた受付の技で、表情はぴくりとも動かなかったが、内心では これ以上ないほど顔を顰めている。
「ありゃ、イルカ先生。今日はもう上がりですか。 ちょっと早くありません?」
「……ええ。早くに上がらせてもらったんです」
にこりと笑みを見せて、カカシは手に持った紙をひらひらさせた。
「申し訳ありませんけど、これだけ、最期の一枚ってことでやってもらえませんか」
上忍の言うことに逆らえるわけがないだろう。
なのにこの上忍は、いつもこうしてイルカを思いやるかのような言い方をする。
舌打ちしたい思いで、イルカは微笑んだまま紙を受け取った。上忍からの要請は強要と同じ。願望は命令と同じ。 謝罪は言葉のあや。敬語は遠まわしな嫌味。
木の葉の里内ではさすがにそんなことはおおっぴらに言われないが、戦場では当然のことだし、 他里ではそれも公然とまかりとおる。
イルカはよく知っている。―――腹立たしくて、昨夜も唾を吐いたばかりだものな。
脳裏で何百と飛び交っている罵倒の言葉などチリとも窺わせず、チャクラも全く揺らがせることなく、イルカは 淡々と机に戻って七班の報告書に目を落とした。
――――――今日だけは、この上忍と顔を合わせたくなかったのに。
はたけカカシは無言で報告書の受理を待っている。
ぼんやりとした目線も猫背の姿勢の悪い立ち姿も、いつもとなんら変わらない。
ちら、とその顔を見上げた。
カカシは見るともなく積まれた報告書を眺めているようだった。
ひそかにイルカは緊張していた。もちろん、それを悟らせるようなマネはしないが。
イルカの担当していた子供たちを今率いている、この上忍は、何故かイルカの気配に聡い。気分や感情を 気味が悪いほど察してくる。鋭いとかそういったレベルじゃない。まるで敵忍を監視するかのように、イルカ を観察しているとしか思えないほどだ。
何気ない一言で、それがわかる。はじめはびっくりしたが、だんだん薄気味悪くなった。
自分でも意識していない感情の変化をいちいち悟られて指摘されれば、誰だってそうなるだろう。
嬉しそうですねえ、なにかいいことあったんですか?だの、お怪我でもされてるんですか、具合悪そうですね、 だの―――。お前はストーカーか?と問いただしたくなる。
自分は、いつもと同じ、誰に対しても同じの、受付用の笑顔しか見せてないというのに。
今日はイルカも自覚するぐらい気分が悪い。イライラするし―――落ち込んでいるのだ、つまりは。
だがそれを、カカシに知られたくなかった。
言われたくない。聞きたくない。
俺はわかっていますよ、なんて知ったかぶった顔を―――見たくなかった。








「はい、よろしいですよ」
この一言をいうときが分かれ目だった。何か告げてくるときは、カカシはちょっと首をかしげて「あ」と言う。 あ、なんかいいことありましたか。あ、疲れてます? あ、眠そうですね。あ、髪紐の色が紺になってる。
恐怖の「あ」だ。
「………イルカ先生」
「―――――なんでしょう」
新しいパターンができてしまった。「あ」ではなかったけれど、誰とも会話したくない気分の時に話しかけ られて、やはりイルカの中でフツフツと何かが煮えたぎる。
けれどそんなことは、おくびにも出さない。―――意地でも、出せなかった。
どれほど胸が重く感じても、それを癒すことなどイルカには許されないのだから。
銀髪の上忍は、覆面に包まれた顔をぐいっとイルカに近づけた。
にこにこにこにこ笑う中忍と、至極マジメな顔をした上忍が、顔を触れあいそうにくっつけあったまま動かないという、 世にも珍しい光景が受付に展開された。
その姿勢のまま、カカシはぼそりと呟いた。
「今晩、酒、呑みにいきましょう」
「―――――は?」
イルカが思ったより低い声がでてしまった。
「美味いツマミ出す呑み屋みつけたんです。行きましょ、俺が奢りますから」
………先ほど頭で歌った文句が、再び流れた。
願望は命令と同じ。謝罪は言葉のあや。敬語は遠まわしな嫌味。
―――――上忍の要請は強要と同じ。
受付所内の目がすべて自分たちに集まっているのが感じられた。
公に言われた時点で、それは意思の確認ではなく同行の宣言だった。
逃げ道はどこにもなかった。
ただ、変わらない笑顔で「喜んで」という以外には。








並んで受付所を出てからも、イルカは嬉しそうな様子を崩さなかった。
会話したくなかったから、ひたすら今日の出来事をべらべら喋っていた。無言のカカシの隣で、楽しそうに、 延々と語り続ける。相槌はなかったが、あっても無視したかもしれない。
「それでですね、木の葉丸のやつがまた―――」
「…イルカ先生」
「悪戯で、教室がびしょ濡れになっちゃって。いやあ、あれにはホント参りましたよ。生徒が全員服の換えを 持って来ているわけでもないし」
「イルカ先生」
「――仕方ないから急遽、校外実習って名目で日なたぼっこですよ」
「イルカ先生っ」
強く遮られてはやむを得ない。立ち止まったカカシに従って黙り込む。
「もう、いいですよ。そんな、わざと明るい声出さなくたって」
……やっぱり、気が付いていたのか。
それなのに、今日に限って何も言わずに無理やり呑みに誘ったのか。イルカはこみあげる怒りをどうにか堪えた。
「なんのことですか? 俺、なにか気に障ることを言いましたか」
「…そんな辛そうな顔してるのに、よく言いますね」
辛そうな顔? 素直に驚いてぴしゃりと額を叩く。
「カカシ先生こそ、どうして俺にいちいちそんなこと言うんですか」
「言っちゃ悪いですか。―――気になるんですよ」
イルカは眉を跳ね上げた。
「気になる? 上忍のアナタが、平凡な中忍のこの俺を? 気になさってるっていうんですか。はっ、 そりゃ光栄だ」
やばい。言い過ぎた。
だが止まらない。溜まり続けた鬱憤が、カカシに堰を切られて溢れ出した。
取り繕っていた笑顔を一瞬で拭い去って、イルカは険呑に鈍く光る双眸を向ける。
「ああ、わかっていたんでしょう。貴方は。俺の気分がサイアクだってこと。なのになんで、わざわざこんな日に ―――」
それ以上は言葉にせず、睨みつけてくるイルカに、カカシは顔を伏せた。
そうして、時たまカカシが顔を背けるのも、イルカは気に入らない。普段右目の辺りしか素顔を見せないのも どうかと思うのだ。まるで自分が警戒されているようで、いい気分にはなれない。
忍の間でも、カカシほど顔の大部分を隠す者は少ないのだ。
何度かためらうようなそぶりを見せ、カカシはゆっくりと口を開いた。
「………オシギのことは、知っています」
絶句した。――――――次いで、猛烈な怒りがイルカを包んだ。
「なんでアンタがその名前を口にするんだッ」
忘れよう、思い出すまいとしていた同僚の名―――かつての、同僚。
昨夜、イルカはオシギの喉を掻き切った。そのときの手応えがまざまざと浮かぶ。死に顔も。絶望を宿して 見開かれた目。血管が浮き出、全身で苦痛を泣き叫んでいた。
仕方がなかった―――――とどめを求めて喘いでいるのを、放っておけなかった…。
知り合いを切っても敵忍を切っても、当たり前だが感触は同じだった。だがその事実にひどく傷ついた。
走馬灯のように頭をよぎった光景に、固めた拳が震えはじめる。
「なんでッ、なんでアンタが! アンタみたいな上忍が―――ッ」
あいつの名を簡単に口にするな!!
殺気すら振りまいて怒鳴るイルカを、カカシは痛いような目で見つめる。その視線もが気に触る。
哀れまれたいわけじゃない。イルカは悲しんでいるのではなかった。
闘っているのだ。―――心を支配しようとする虚しさと。
オシギ。彼の名を思うときに浮かべる顔が、もはや受付のイルカの隣で見せていた、毎日見ていた笑顔 ではなくなってしまった。
痙攣しながら事切れた、血まみれの声無き断末魔―――ひとすじ涙をこぼれさせた彼の最期が、 まなうらに焼きついて離れない。見開かれた目。絶望。苦痛。
ひぅ、と。それが最期の、言葉ともしれない息だった。
鬼のような形相で顔を真っ赤にしたイルカの、ぶるぶると震えるその両手を、乾いた手のひらがそっと 包み込んだ。
いつの間にはずしたのか、手甲の寒い感触がない。硬く、しっかりとした、忍の――だがあたたかい 手だった。
叫ぼうともう一度吸い込んだ息は、だが、音にならずに宙に散った。
何度も何度も、乾いた手のひらが、硬く強張った拳をさする。ほどいて、広げて、指をからめてと強いるように。
何度も何度も―――何度も、幾度でも。
乾いた厚い手のひらが、頭の隅にこびりついて離れなかったオシギの残像をゆっくりと薄れさせていった。
イルカは観念したかのように、目を閉じた。
下ろした瞼に吐息を感じて、じんと鼻の奥が熱くなる。
やさしく包まれて、涙をくちびる――いつもは隠している柔らかなそれで――そうっと掬い 上げられ、なだめるように数度、頬をなぞられる。瞼にも、鼻にも、まだ言葉にならない感情をもてあまして 薄く開いて震えたままのくちびるにも、カカシの柔らかな愛撫がそっと施されて、震えを止めようと ついばまれた。
これも上忍ゆえの技巧だというのなら、イルカは両手を挙げて降参するしかなかった。
はたけカカシという腕利きの忍が象徴し、体現するものに、どれほど怒りを抱いていたとしても。
「……俺、あいつが好きでした」
びくりとカカシの身体が反応する。
「アンタみたいな邪な意味でじゃないです。友人として、ほんとに好きだったんです。受付も やってたけど腕のいい中忍で、何度か同じ任務にも出ました」
「うん」
「…あいつ、が。上忍に目を付けられてるのは知ってました。アンタに言うのもなんだけど、頭のオカシイ 変態で、任務先だけじゃなくて里に帰ってからもあいつに相手をさせてた。俺は気付いてたんです。 火影さまに何度も陳情しようとした。でもその度にオシギが止めた」
ぎゅう、っとイルカはカカシを抱きしめる。憎くて憎たらしくて、あたたかいその身体を。
「俺の代わりに、誰かが犠牲になるだけだから――っていうんです。里外の任務に飛ばされることになっても、 任地先で絶対に代わりのヤツを見つける。そしたら今度はその人が苦しむ。俺は忍だから、身体も丈夫 だから、このくらいまだ大丈夫だ――って。肋骨折られて、顔以外は痣だらけになりながら、あいつ 笑ってたんです」
笑っていた。だからイルカは少しだけ、油断してしまった。安心してしまった。任せてしまった。
毎日毎日、イルカこそが、作った笑顔で人に接していたというのに。
オシギのそれも偽者かもしれない、虚勢かもしれない作り物かもしれないと、考えもせず。
思い至らなかった。―――そして昨日、オシギは死んだ。
最期の会話を、イルカは思い出す。
ほっそりした外見に似合う、芯の強い控えめな性格のオシギ。実は強情で、言い出したら聞かない 性分だった。
今日は俺が夜の受付代わるよ、といってきたオシギに首を傾げた。
残っているのはひとりの報告だけ。名簿をちらりと見て、すぐにオシギに執心の上忍だとわかった。
険しい顔をしたイルカに、心配無用だときれいに微笑んでみせた。
あまりに透明な、思わず見惚れるような笑顔で、口ごもったイルカに更に、だいじょうぶだと念を 押して渋るイルカを受付所から追い出した。
軽く片手を上げて、お互いに。それじゃまた、あした。
また、あした―――会う、はずだったのに。
「あ、あのとき、俺が居るって言い張って残っていれば…」
「イルカ先生」
「わかってます。意味がない。でも考えてしまうものはどうしようもないんです。カカシ先生 だってそうでしょう? あるでしょう、後悔したことが。意味がないからってやめられる ものでもない」
やはりどうしても胸騒ぎを感じて落ち着かず、寝入る寸前になってイルカは受付所に走った。
近付けば近付くほど怖気のような嫌な予感が膨れ上がって、短い距離を戦場のように疾駆した。
駆け込んだ受付所は、誰もいないのに出入り口は開けっ放しで、明かりだけが煌々と灯されていた。
なのに机や書類にはどこも乱れた様子はなく、それがかえって不気味に寒々しい。
消えない怖気に身を震わせながら、オシギはどこに行ったのだろうと受付所を出た瞬間、 血のにおいに気付いた。
どれほど薄くとも、それを辿ることを間違える忍など居はしない。
間違えぬ己を、恨みたくなった。
オシギをひっそりと埋葬し、その足で火影の元へ向かった。
真夜中だというのに起きていた火影へ淡々と事の次第を告げると、背の縮んだ老人は いっそう背中を丸めて、一回り小さくなったように見えた。
動くことを忘れたかのように、イルカの表情はぴくりとも変わらなかった。
そのまま凍えた会話を二言三言、交わしてイルカは帰り―――想いを呑みくだす水を 盃に注いだのだった。
「……俺が久しぶりに惨い死体を見たから、ショック受けて混乱してるんだと思います…?」
「…いいえ」
「嘘だ。アンタ少しそう思ってる。言っとくけど、俺はそれほど繊細でもないし、今更 友人の死体ひとつふたつ見たからって精神病んだりしませんよ。見くびらないでください」
一息に言い切り、イルカは抱きついている男の肩口に顔を押し付けた。
「でも、オシギは何のために死んだんでしょう? 馬鹿な男の幼稚な苛立ち紛れに、もてあそぶように 苦しまされて傷つけられて。……俺は、忍ですから、いつどう死ぬ覚悟もできてますが、 死ぬなら忍として死にたい…」
「イルカ、先生」
「俺、オシギを殺してやりました。苦しんでたから」
「……そう」
「ほんとは俺が見てられなかっただけです。見ていたくなかった」
「イルカ先生、こっち見て」
「いいやつだったんです、ほんとに。俺、俺は―――」
もう何を言いたいのかもわからない。だがなにか言わずにはいられなかった。そうしないと、 とめどない思考がはまりたくない泥沼に足を取られて、沈んでしまいそうだ。
ぎりりと歯を食いしばったイルカを、力強い腕が引き剥がした。
見上げたカカシの顔は歪んでいた。すっきりした鋭角の顎が強張って、力が入っているのが 見て取れる。
どんな表情の時も、カカシは端整で秀麗で―――真摯だ。
「俺は、そんな上忍とは違います。貴方が好きです。独りよがりに貴方を困らせて、 貴方に俺の気持ちを押し付けたりしません。
俺は貴方が好きなだけじゃない。貴方に、もっと俺を好きになってほしいんだから」
むりやりに笑って、また包むようにやさしく抱きしめてくる。
生死をかけた戦いのときにだって、カカシはこれほど真面目な顔にはならない。
「あ、アンタは馬鹿だ」
「ええ、馬鹿ですよ。馬鹿でいいんです。こんな馬鹿がお好きなんでしょ? イルカ先生は」
「好きな、もんか。いつだって自分勝手で、アホなことばっかり言って――」
好きだとか愛してるとか貴方だけだとか。直球で恥ずかしい、冗談だとしか思えない 馬鹿げた戯言を。信じられぬなら信じてくれるまでいつまでも、と。
あきることなく並べ立て、尽きることなく積みあげて。
―――アホなことを言って、俺を嬉しがらせる。
弱いところをすいっと突いて、イルカが自分でも気付かない本心を見つけ、 掬い上げるようなことを言う。間違えずに、落とさずに、イルカの気持ちを必ず救い上げる。
たまらない。なにもかにもが敵わない。忍の力量も、おそらく人としての器も。
オシギの最期を見ながら、己の最期を見るようで嫌だった。他人の目から見ればオシギも イルカも立場は同じだった。「やっかいな上忍に目をつけられた中忍」。ただし「やっかい」 の意味が違って、片方は遊びだから厄介、片方は本気だから厄介だという――だが当人たち にとっては大きな違いだった。
遊びだからオシギは許し、そして死んだ。
本気だからイルカは拒み、迷い、少しずつ受け入れ――いまこの男に抱かれている。
どうにもならない虚しさと悔しさ、なのに喜びがはっきりとイルカの中にあって、 そんな自分に嫌悪しながらも、混乱するから縋るしかない。心弱くなっているから、 いいんだと、仕方ないと言い訳して今だけ、目の前の恐ろしくよくできた男に甘えることを許した。
子供にするかのような、触れるだけのくちづけは、色めいた空気をそれ以上濃くすることもなく、 ただひたすらに甘く、溶けるように淡い。
暗く人通りもないとはいえ、れっきとした往来の道でそんな接触を許したのは始めてだったが、カカシも 先に進めることはせず、身勝手にやさしさだけを欲しがる情人を甘やかした。
「好きって、言ってくださいよ。大事にしますから」
「だ、れが…」
「まだ、身体だけですか? ……それでもいいですけど」
だって、貴方が俺を好きなこと、もうわかっちゃってますからね。
少年のようにうきうきとそんなことを言われて、イルカは力なく男の肩口に額を乗せる。
だから嫌だったんだ。今日は会いたくなかった。あんたに慰められたいと思っている自分 がいるのを知っていたから―――。
それも、もう後の祭りだけれど。
この後、おそらく抱き上げられて帰る自分を想像し、小さな部屋でのやさしい時間に思いを 馳せて、イルカは熱い吐息を漏らした。










2004.2.5  蛇足はエロじゃないです
蛇足